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忘れないために (後日記)
5/18 の夜から 5/19 にかけてのママ。
5/18 の日記に書いた通り、昼病室に行き、そのまま半休を取ることにして傍にいたけど、〆日直前なので一旦会社に戻った。今思えば、ずっと離れなければ最後の声が聞けたかもしれなかったのにと後悔の嵐。はっきりと目で会話できたのは、日曜、いやあれは土曜だったのかな、帰る前に母の左側、窓を背にしてベッドの脇に立って、見えているかわからないけどこっちを向いている母に対して両手をバイバイのように振った時のこと。母は同じように手を振って見せたので、「あら、見えるんだね」 と言ったんだ。その後間もなく帰ったんだ。
5/18 の夜、会社に帰る前は、まだ時々眉をしかめて左手を高く宙に上げたり、その手をかなりの勢いでばたんと下ろしたりはしていた。脚は、膝を立てるのが楽だったらしくずっとそうしていたのに伸ばしたまま動かなくなっていたけど。足の裏までむくみがすごかったけど、立てていたのを寝せた分、足の甲と裏のむくみは脚の方に移動して、その分足の指と甲に深い皺がたくさんできていた。そしてその足先は冷たかった。左足裏には少し赤黒くなっている部分もあった。手は左の方がよく動き、右手は足と同じようにほとんどまっすぐ伸びて下ろしたまま動いていなかった。会社で作業後、時間がもったいないので行くのを躊躇したけど、大食いの自分を自覚してスタバでコーヒーとケーキをゲット、病院の外で食べてから病室へ。既に 10:30pm くらい。その時には顔を完全に覆う形の酸素マスクに変わっていて、モニタで表示する項目が増えていた。夕方様子を知らせていた妹は、水曜は半日勤務なので、午前中から休みを取って 11pm 頃に到着。仕事の後来ていた父には帰って寝てもらうことにする。呼吸はいよいよ苦しそうになり、酸素濃度が 90 を下回る度にブザーが鳴り、吸引をする。鼻からの吸引では痰が出るよりも鼻腔が傷ついて出る血の方が多いようで見ているのが辛かった。その後は口からの吸引となり、吸引をすると少し酸素濃度が上がるも、だんだん値が悪くなっていく。口蹄疫騒ぎで忙しい弟には、父が今週木曜辺りかもしれない、と言っていた旨知らせていたら、明日はどうしても来れそうにないので今から向かう、と 12:30am 頃電話がある。きょうだい 3人で見守るも、もう何もできない状態。胸水がいっぱいになり、わずかに体勢を変えただけでも呼吸がさらに苦しくなる。瞳孔の反応はわずかにあるようだったけど、もう時間の問題なのかな、と思った。なのにどうして数時間で亡くなってしまうという思いに至らなかったのだろう。連日の睡眠不足で疲れていたので、ベッド脇の長椅子でうたた寝してしまう状態だったし、翌日午前中だけは仕事に行くつもりにしていたので、5:30am に一旦家に帰ることに決めてしまった。お風呂に入って少し仮眠を取って会社でやることを済ませ昼から向かおうと。でも、交代した父から、7am 過ぎに血圧も下がってきているし、呼吸も少ない、今日はもう午前中でダメかも、と電話があった。洗濯物を干し終えたら急いで向かおう、と焦り、干し終わって携帯を見ると着信の記録。7:32am に亡くなった、とのメッセージが入っていた。
Posted by : tocotkk | 家族 | 22:06 | comments(0) | -
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